2017年6月12日月曜日

小田原まちあるき 石垣山一夜城ver.6月10日(土)

小田原好きの方と小田原城郭研究家が企画、案内した首記の街歩きに参加した。集合は13:00だったが、朝早くに出て一人で小田原城を見学することにした。
 ついこの間も撮ったが、今日も駅員さんに撮ってもらった。
 こういう人達もいた。小田急新宿駅では記念撮影を大切にしているようだ。
 土曜日だけれど通勤客が多い。

 1台前の特急。
 ぼくの乗った特急。
特急券を予約していたので、よかったが、満席だった。40代?の女性グループがおおくて、話し声が反響し合って、列車内が話し声でウワーンと鳴っているような感じだった。
以前にも何回か来ているが展示が新しくなったらしいので、たのしみだ。
 なにはともあれ、混まない内にてっぺんに直行。

 右端の鉄塔の上あたりが一夜城の方向らしい。
 右端の台上の草原から、以前にお城を撮影した。お城がきれいな姿で撮れる場所だった。

 展示をみながら降りる。まずは顔出し看板。何とか自撮りをしようとしていたら、家族連れで来ていた親切なお父さんが見かねてシャッターを押してくれた。ラッキー、ラッキー。

 江戸時代の地図。展示は北条氏についても詳しく説明されていておもしろかった。
絵図。
お城の入口からもう一度、石垣山一夜城の方向を撮る。鉄塔から白い建物の左半分の背後あたりがその場所のようだ。

 次に、おもに甲冑と刀を展示している常盤木門SAMURAI館に行った。見ごたえがあった。




 印象に残った松の老大木。
老大木と常盤木門。
この後、歴史見聞館に行った。ここはもう一つだった。
 続いて、銅門(あかがねもん)に行った。
 復原工事が終了間近らしかった。
最後に郷土文化館に行った。ただなのに、なかなか、おもしろかった。ぶらぶらと集合場所の早川駅にむかって、駅付近でお昼ご飯を食べることにした。

 早川。下流方向。鮎釣りの人がいた。
早川の小田原漁港が近いのでここにはいった。戸を開けて、びっくりぎょうてん、かろうじて座れたが超満員だった、ぼくの次の次ぐらいからは行列になった。有名な店らしく、回転が速い。外には誰も歩いてなかったのにと思ったが、都会の常識は通じなくて、来る人はみんな車でやって来ていたのだった。
 13:00に早川駅に集合して、タクシーで石垣山一夜城の駐車場にむかった。ここには人気のあるお店、一夜城ヨロイヅカファームマルシェがある。その横に展示されていたこのあたり特産の石材。下の写真が、その説明看板。

 こちらはお城への登り口に展示されていた石材。20人弱の団体だ。

これから行くお城の説明看板、上半分。
 下半分。
城跡の絵図。
 地震で石垣が崩れているがここが場外から南曲輪への通路。
振り返る。
南曲輪の南側石垣。崩れずに立派に残っていた。
 さっきの通路は最後に左に曲がる。曲がった直後、このあたりに門があっただろうとのこと。

 南曲輪に到着。


 本丸跡の南端にある物見台からの風景。
 小田原城は左上の森の部分に見えているが小さくて、よーく見ないとわからない。
望遠最大(×12)にして、中央に持ってくるとよくわかる。戦いがあった頃はビルがないからよく見えただろうが、望遠鏡は必要だったのではと思う。
 本丸から天守台跡に向かう。ハイキングの家族連れも多い。
天守台跡は一段高くなっている。
 少し下がっている本丸跡の方向。
本丸跡。奥が天守台跡。
 本丸跡の北東側から、下にある二の丸跡への通路を見る。石垣が高い。
二の丸跡の南東側。
二の丸から石垣を見上げる。
 二の丸への通路を降りているところ。
ここを下りてきた、けっこう急だ。
二の丸跡の北西部に廊下のように張り出している展望台に行く。下に入生田の方向が見える。この先一段下に三の丸跡があるらしいのだが放棄された雑木林と籔になっている。
 二の丸跡の東側、張り出し部の南側は急に落ち込んだスリバチの井戸曲輪跡だ。
 急斜面をどんどん下りて行く。


 ここからは立入禁止なので、端から下を覗く。
今でもちょっとだけ水があった。戦いの頃はたくさん湧いていたのだろう。
周りはすべて石垣だ。石垣を越えて、南側から登り口に戻る。
 二の丸跡の南側の石垣。急だ。
 登り口の西側の角の石組み。南曲輪跡の南西の角。
奥側から見た南曲輪西側の石垣。ここも急だ。
この後、石丁場(石切り場)跡に向かって、入生田方向へ歩く:


 道路を掛け橋状にして、下に、発掘された石丁場跡を保存した場所。県が整備した。


 江戸城に持って行ったとのこと。加工跡の残る使われなかった石がころがっている。この一帯のあちこちに石丁場があったらしい。



上面左端の「⊕」はわからなかった。
あちこちに加工跡のある石が落ちている。

 印がはっきり見える。
 これも。

 切り出した石を早川まで運び出した「石を運ぶ道」の跡。道跡は雑木林の中をずっとつづいているとのこと。
 アリジゴクの巣があるのでアリジゴクかなーと思って調べたら、ホタルの幼虫だった。


この後、見学歩道?から一般道に下りる。
 これは自然石で上の方から転がり落ちて来て、ここで止まったものらしい。ほかにも同様の石がいくつかあった。

 上の写真の石の説明看板。

 仏様の花、シキミの段々畑。石垣になっている。シキミの栽培は聞いていたが、初めて見た。


 早川、上流方向。建物は生命の星・地球博物館。
 下流方向。突き当たりの山が富士山砦跡、小田原合戦の戦場となって、豊臣方にとられた。
 望遠で。
鮎釣りの人。
この後、すぐ近くの入生田駅で解散。
ぼくは旧東海道を小田原駅までぶらぶら歩くつもりだった。参加メンバーの小田原通の方が付近を案内して、小田原駅まで行くとのことで、参加した。次々と行くことになって、10人弱の団体になった。
ずっと以前に旧東海道を歩いた時このあたりの家々はこういう飾りをしていて、いいなーと思った。今日も続いていたので、ほっとした。
 豊富できれいな水。
 道祖神と風祭の一里塚跡。

風祭の万松院の藁ぶきの家屋、かっこいい。このお寺には、徳川家康の長男で悲劇の武将松平信康の供養塔がある。
突如現れた荻窪用水。



 山縣水源地。
 その説明看板。
荻窪用水からの取水口。
この谷の左側が豊臣方、右側が北条方。ここをはさんで睨み合っていたらしい。

 撮らせてもらっていたら、よろこんでつっこんできた。かっこいい、きれいな犬だった。


有名人御用達の眼科医院とのこと。この規模を眼科で維持するという事は高いのだろうなー。
 大堀切へ。



草がきれいに刈ってあったので見やすかった。
アーティチョーク 。
 暗くなり始めた。
 猫一家の団らん。
 もう一匹の子猫はアジサイにもぐりこんだ。
多分、お母さん猫。かっこいい。

新幹線側の駅前の北条早雲像。ここで2回目の解散。ぼくは懇親会には参加ぜずに、ロマンスカーで新宿へ帰った。
企画・案内してくれた3人の方に感謝、感謝だ。



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