2018年12月31日月曜日

今年のお酒12月31日(月)

4月から6月は体調が悪くて、医者から飲まないように言われた。7月からはOKとなり、9月に受けた人間ドックの結果も従来と変わりなかったのだがなにやかやと体調が悪く、元気が出なくて飲めなかった。来年は地味に楽しみながら、720ミリ6本ぐらいは飲みたい。
 1月 兵庫県淡路市。
 1月(末) 兵庫県淡路市。
 3月 山梨県北杜市。
7月 京都市伏見区。 これが最後で、ほぼ空になった。

合計720ミリ4本だった。

2018年12月25日火曜日

さいたま市岩槻区の里歩き12月23日(日)

埼玉スリバチ学会の「慈恩寺の谷と水、道と境界」に参加して、里歩きをたのしんだ。主に、東武野田線(現在は、舌をかみそうなカタカナ名になっているが)東岩槻駅の北側の丘(イタリア半島に似た形をしている)、さらにその奥の台地を見物してまわった。このあたりは、~江戸時代には慈恩寺の勢力範囲だったらしい。

 東岩槻駅に集合。

 左に続いているのは、古隅田川。手前は東岩槻雨水幹線(排水路)。

 洪水対策等の排水路である東岩槻雨水幹線、古隅田川に接続している。
古隅田川。

 花積住吉神社(ここは春日部市)。この境内だけ一団高くなっている、不思議な感じだ。

丘の上に向かう:
こういう販売所があちこちにある。仲間には大人気だ。誘惑に負けて買うと重い荷物で後が大変らしい、ぼくは買ったことがないけれどーーー。
丘の上の二の宮神社。
東西寺境内の石造物。
 上の写真の左端。
 左から2番目。庚申塔だ。
これも庚申塔。
道端の庚申塔群。
 上の写真の右端。
 右から2番目。
3番目。
4番目。

このあたりの丘のきわには、貝塚が数か所あったが、貝殻が見えるわけではないので、実感がわかなかった。

 のんびりとした風景。
ユズ?が豊作。大木だ、収穫するとしたら、たいへんだろうなー。
 13重の塔の玄奘三蔵霊骨塔に行く。慈恩寺が管理しているらしい。そこにあった2基の江戸時代の灯籠には東叡山の文字があった。
 境内の亀の石造物。


 庚申塔群。ここから3枚の写真。


 この地域には鷲神社が多い。このあたりでは、「おおとり」ではなくて、「わし」と読むことが多いらしい。
三々五々に分かれて、昼食。はじめて「山田うどん」にはいった。埼玉県に多いお店で前からはいりたかった、おいしかった。


 いよいよ慈恩寺へ。





石仏群のうちの庚申塔。

月読神社・十二天神社の参道にある富士塚。

庚申塔。
 左奥が谷戸になっている。その東側に畑が広がっている。
谷はさらに東に続いて、谷戸を水源にした小川がながれていた。こういう感じの水源、谷戸、畑のセットがたくさんあった。
 廃棄されたビニールハウス。

日枝神社。
コンテナーを積み重ねた壁。中は産廃置場だろうか?
白山神社のうさぎさん。バスの時間が迫っていて、大急ぎで撮った。

この後、鹿室(かなむろ)バス停からバスで裏慈恩寺バス停にむかい、丘の土砂が削り取られて、神社のある丘先端だけが残った場所を見に行く。60年ぐらい前の地図ではまだ丘が続いているのが確認できるとのこと。

 これがその神社。我々が立っている場所は土砂が削り取られて元荒川の低地なみの標高になった場所。

 広範囲に削り取られている。
 ずっと向こうが、続いていた丘の部分。かなりの距離だ。
先端部分の丘に建つ神社。
ここが本来丘が終わる場所。現在は神社の境内が小山のように残っている。
ふもとの公園。

たのしく遊ぶ。
 東岩槻雨水幹線の暗渠部分沿いに駅にむかう。

この後、東岩槻駅で解散。ぼくは懇親会には出ずに帰った。いつものことながら、たのしい里歩きだった。